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闘病日記



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闘病日記

あえて闘病日記を書こうと思ったのは
どんな病気であろうと、健康な人であろうと
その人にとって、苦しく辛い事はたくさんあって
それぞれの心の中で葛藤をしてると思ったからです。

辛かったら、休めばいいしゆっくりゆっくり歩いて欲しい。
時には、下向く時あっても立ち止まってもいい。
いつか前を向いて歩き出して欲しい。

決して一人だと思わないで、どこかにアナタという存在を
大切に思う人がいるはずです。

この世に、たった一人のアタタとして生まれてきた存在は
大切な大切な宝物だという事忘れないで
一緒に苦難を乗り越えて行けたらと思って書きました。

最近、指先が思う様に力が入らなくなって
ピアノやギターやマンドリン、オカリナなど
指先を使う事が難しくなってきました。

H4年夏、医大に入院した頃は
折り紙を16分の1に切って小さい折鶴を折ったり
小さいマスコット人形を作ったりと
細かい事も出来てたのですが・・・

確かに小さい頃から、他の子とは違ってた・・・
よく転ぶ、しょっちゅう気を失う。
異常に力が弱い。
歩き方が変でペンギンみたいと言われてました。
病気じゃなくて、私の癖だと思ってたんですが・・・

それなのに、よく小学4年から高3まで
バレーボールを続けたなと感心します
負けずキライなので、みんなに追いつこうと
泣きながらやりました。

やってやれない事は、ないんだなと今になって思うわけです。
人並みではありませんでしたが・・・





病名が分かるまで1(はじまり・・・)

思い起こせばS.62年の秋。
はじめて授かった子供を流産で亡くした。
それが私の発病を気がつかせてくれたのかもしれない。
私の病気は、誰のせいでも何のせいでもなく
ただ、神様のいたずら・・・
これが宿命、持って生まれた病気だったのです。





病名が分かるまで2(息子の出産)

はじめての子を流産して、今の息子を妊娠した時も
早期切迫流産の恐れありという事で入院することになった。

ちゃんと生まれてくるか心配・・・
入院のおかげでなんとか流産の危機は逃れ
予定日より10日遅れの出産となった。

これは妊娠のせいなんだと思ってた異変。
歩きづらい・・・
しゃがんだら、スッと立てない。
よく転ぶという事は、子供の頃からあったけど
やけに妊娠してからも多くなった。

首から背中腰にかけて痛みがあり、なんだか力が入らない。

私の病気のほんのはじまりに過ぎなかった。

ホントは、その時がはじまりではなく・・・
生まれた時から、少しづつ進行してて
妊娠を機にドッと出始めたのでした





病名が分かるまで3(出産後の異変)

息子を出産してすぐに
右目が見えなくなってきました。
白い霞がかかった様な感じ、目やにがついてる感じ。
時々、糸くずの様な物が見えたり・・・
出産後だから、仕方ないでしょうと言われ。

私は、母乳が出なくてミルクを与えてたんですが
哺乳瓶のメモリが見えない。
どんどん世界が白くなっていく。

仕方なく眼科へ行って判明しました。
網膜に穴が開いて、そこから出血してると。
しかも3箇所も・・・
今すぐ手術しないと失明すると言われ、愕然としました。
子供を生んだばかりで入院はできません。

出血が収まるまで手術もムリだから
自宅で両目に眼帯をして
絶対、目玉を動かさない様にしてられるなら
入院しなくてもいいと言われ
ひたすら真っ暗闇の世界で息子と二人で
寝てる日々が続いたのです。





病名が分かるまで4(不安と闘った日々)

毎日、毎日タクシーで眼科に通う日々。
生まれたばかりの息子を置いては行けず
母が仕事から帰るのを毎日待った日々。
思わず子供の頃を思い出した。
いつも、いつもひとりぼっちだった子供の頃。
淋しくて、不安で泣きたい気持ちを
抑えて笑ってたあの頃。

そんな日が2ヶ月以上続きやっとレーザー光線で
網膜に開いた穴をふさぐ手術をした。
もうちょっとで網膜剥離する所だったのに
どうしてここまで放ったおいたと先生に叱られた。

それでも右目の見難さは解消せず半年は
見えにくい状態でした。

点眼と時間薬で治ってきたと思ったらまた見えなくなる。
1年に3回ほど、そんな状態になり
治るまでに2ヶ月以上かかった。

右目ばかり何故・・・

一度だけ左も急に見えなくなり
両目見えない時期が4ヶ月ほど続いた時は
さすがに落ち込みました。

それが私の病気の一番はじめに出た症状だった。
ただの目の病気ではない、もっと違う病気だったのです。





病名が分かるまで5(不思議に思いながら)

そんな目の症状を抱えながら、生活していく中で
なんだか、私、変だなぁ、と思う事が次々と出てきました。

子供をサッと抱き上げる事が出来ない。
歩きづらくてよく転ぶ。階段の上り下りがキツイ。
しゃがんだら、立てない。
とにかく力が入らなくなったのです。

首から腰にかけての痛みもあったし・・・
という事で整形外科に行ってみると
椎間板ヘルニアだといわれました。

しばらく通院しても治らず、ますます酷くなってくる。
お産のせいなのかな・・・?
不思議だな、なんだろう?
そんな風に思いながら過ごした1年後に
娘を身ごもったのでした。





病名が分かるまで6(娘の誕生)

そんな症状に不安を抱きながら娘の誕生を待ってました。
日に日に、歩きづらくなる。
体に力が入らない、痛い。
相変わらず、目が定期的に見えなくなる。
こんなで子供が産めるんだろうかって不安も抱きながら。

予定日よりも3ヶ月早く、破水をしてしまって
またもや早産の危険。
このままでは子供も危ないという事で
絶対安静となり入院する事になりました。

これだけ歩きづらく、首、背中、腰が痛いのなら
予定日まで待ってたら
母体も、もたないかもしれないという事で
陣痛促進剤で2500gになるのを待って
人工的に産ませる事になったのですが・・・

私の病気は、進行してて麻痺がはじまっていたのでした。

病院の廊下を歩いてて急に赤ちゃんが落ちてきてしまって
いわゆる墜落出産です。
2400gと小さかったせいもあり
そのままツルンと出てきてしまって

この子に障害が出ないだろうか、頭は大丈夫だろうか。
そんな心配ばかりで自分の事などどうでもよかった。

手の中にスッポリ入ってしまう様な未熟児の娘。
ミルクも20ccが飲めない。飲ませても吐いてしまう。
やっぱりこの子、障害があるんじゃないかって
すごく心配をしたものです。

でも子供って、小さく産んで大きく育てよとは
よく言ったもので、我が家の娘も社会人。
身長170cm、手足が長くて、顔がもっとよかったら
モデルだねって笑うほどに成長したのです。
何をやらせても器用にこなし、サウスポーのせいか
部活ではエースをさせてもらってました。
リレーの選手も小学校からずっとです。
高校3年で、国体選手として大分に行きました。

よかった、丈夫に育ってくれて・・・

それと反比例する様に
私の体の様子が異常になってきたのです。




病名が分かるまで7(不思議と不安)

娘を出産後も相変わらず、定期的に目が見えなくなる。
首から腰にかけての痛み、歩きづらい等の症状は治らず
眼科、整形外科への通院の日々が続きました。

ある時から排尿障害が出てきました。
急に失禁したり、急に出なくなったり。
産婦人科検診の際に聞いてみると
お産の後は誰でもあるとの事。
でも娘を産んで1年近くなるのに・・・?
そのうち排便障害も出てきたのです。
1ヶ月に2回ほどしか便意がない。
かと思えばいきなり出てきてしまう。

ペンやお箸を持つと鉛の様に重く感じ
字を書く時、物を食べる時、力が入らない。

全身に力が入らない。
お風呂に足を入れても熱さを感じない。
起き上がると物凄い眩暈で吐き気が襲う。
寝てれば大丈夫なのに、起き上がれない。
とにかく、よく転ぶ。
顔からそのまま転ぶので
よくおでこにタンコブが出来ました。

これは絶対、おかしいんじゃないかと悩みましが
病院に行く勇気がなかった。
何故って、いくらお医者さんにでもこんな話をするのが
恥ずかしかったからなのです。

迷った挙句、女医先生の内科に行ってみる事にしました。

そこで初めて分かった事。

椎間板ヘルニアでもなんでもなくもっと大変な
神経系の病気に疑いありという事で
総合病院の神経内科に行くように言われたのでした





病名が分かるまで8(検査の日々)

総合病院に通う様になって検査、検査の毎日。
しかし原因不明で神経内科、内科、脳外科
整形外科、泌尿器科、眼科
ほとんどの科をたらいまわし。
結局、整形外科に検査入院という事になりました。

家族の理解がなかったという事もあって
子供を連れての病院通いは辛いモノがありました。
1歳の娘に、長い待ち時間を
一緒に待たせるには可愛そうな程で・・・
でも、娘はお母さんが病気なのだと
幼心に分かっていたのでしょう。
ぐずりもしないで、おとなしく待っててくれた事に
何度、ごめんねと心の中でつぶやいた事か・・・

検査入院で一番辛かった検査が
太ももの付け根を切って小指程の
カテーテルを脊髄まで通して造影剤を入れる検査。

珍しい症状だという事で20人程の医師、看護師が見守る中
丸裸にされて大量の血が流れ出る。
造影剤が入る度に全身炎に包まれた様な痛み。
長い針で脊髄を刺し髄液を取る。
4時間の検査が一番辛かったです。

1週間の検査で分かった病名が脊髄動静脈奇形。
その為には、手術が必要で
将来下半身不随になるかもと言われて
私は世の中の苦しみを
全部背負った様な悲しみに襲われたのでした。
そして県外の医大へ転院となったのです





病名が分かるまで9(主治医との出会い)

医大の整形外科へ転院して教授先生の診察の結果
脊髄動静脈奇形などという外科的な病気ではなく
脊髄神経系の疑いありという事で
神経内科へ変わる事になりました。

手術しても下半身不随になると言われて
落ち込んだ、あの話はなんだったんだと
今度は、自分がおかしいんじゃないかと・・・
身体的病気ではなく
精神的病なんじゃないかと悩む様になったのです

ただ、誰かに心配して欲しくて
病気になったつもりでいるんじゃないかって・・・

医大の神経内科で主治医となった現在の先生に
あまりにも、いろいろな変な症状がありすぎたので
「私、ホントは病気なんじゃなくて
心が病んでるだけでしょうか」
最初に言った言葉がこれでした。

先生の言った言葉を一生忘れる事ができません。
「原因は、一つしかないんです。
僕が必ずその原因を見つけ出します。
 安心して下さい、僕と一緒に見つけましょ」
その言葉に泣いてしまいました

それから2ヶ月の検査入院が始まったのです





病名が分かるまで10(安心・・・)

2ヶ月の入院生活で何が辛かったかというと
子供の事が心配でそれを思うと辛かった。
子供達には、何も言わないで
急に私が居なくなったのだから
きっと淋しい想いをしてるんじゃないかと
それを考えては、遠く離れた病院で毎晩泣いてました。

検査、検査の毎日。

中でもキツかった検査は
太ももの付け根を切ってカテーテルを脊髄まで通す検査。
筋肉に長い針を刺してわざと力を入れて電気を通す検査。
目の瞳から注射器で中の液をとる検査。

腸に肛門からバリュームを入れる検査では
普通の人ならバリュームが出ない様に我慢できるのに
私は、我慢できずにダラダラと出てきてしまう。
下半身バリュームだらけになって情けなくて泣きました。

膀胱に水を入れて尿意を感じたら排泄していいと
先生、看護婦さんの目の前でやった検査。
恥ずかしさで泣きました。

長い病室までの薄暗い廊下を泣きながら歩いた。
私は、どんな病気なんだろう。
ホントに病気なんだろうか。
子供達に淋しい想いまでさせて原因がわかるんだろうか。

不安と哀しさで辛い、辛い2ヶ月間でした。

検査の結果、分かった病名は
聞いた事のない脊髄の病気でした。
手術はもちろん、治療法もまだない難病。
産まれつきの病気だったのです。

その病気は中部地方には当時、10人ほどしかいなく
その中でも特に稀な症状だという事で
学会に症例が発表されるほど、医学会では
ちょっとした有名人になってしまったのです。

でも私は、何故かホッとしたのでした。
病名が分かった、私は病気だったんだという安心感で・・





病名判明

私の病名は、聞いた事もない病名
当時まだ医学書にも載ってなかった。
しかも、その病気以外にも合併している様な症状があり
主治医たちも随分、悩んだそうです。

粘膜に炎症を起こす、胃潰瘍、腸炎、口内炎、肺炎。
関節の痛み、全身の筋力低下。
発作的にやってくるぶどう膜炎。
ガードルセンセーションと呼ばれる過喚起症候群に似てる
太い帯で胸下からお腹まで
締められるような痛みで息ができなくなる発作。
筋肉が突っ張って動けなくなる発作。
この様な症状が波の様に襲ってくる。

足が突っ張って歩けない歩行障害。
感覚異常。温感異常。
排尿、排便障害。起立性低血圧。
などの症状は、常にある。

白血病を合併するかもしれない。
いつか動けなくなるかもしれない。
これが私の病気の特徴らしいのですが
私の場合、他の神経系病気にも似てる所がたくさんあって
ホントに稀な症例なのです。

運命のいたずらなんでしょう。
だけど、何故か病気の事をくよくよ悩んだ事がなく
病名が分かるまでの方が苦しかったです。

一生、この病が私にくっついてくる。
治療法などない・・・
こういう星の下に産まれたんだから
一生の友にして仲良く付き合っていこうと
人生、捨て鉢になって思うのではなく
ホントに心からそう思うのです。

だから今日が大切、二度とない今日が大切なんです。





治療法がないまま

完治の方法はないけど
神経系病に効くとされる薬の投与が始まりました。
薬の副作用で顔がパンパンに腫れ上がり
食べても食べても満腹感がない。

それなのに体の様子は、私にとって悪くなるばかり。
筋肉の突っ張った感じが取れてしまうので
筋力低下してた私は、ふにゃふにゃになって
余計に動けなくなってしまったのです。

とりあえず歩きやすくなればという配慮だったのですが
私の体にとっては、そのツッパリが杖だったのです。
入院中から少しづつ投与をはじめ
やっぱりダメだという事で少しづつ減らしていく。
一度に止めてしまうと体に負担がかかるからです。

後は、排尿、排便障害の調節しかありませんでした。

薬で膀胱に尿を溜めるようにして
カテーテルを尿道に入れて出すという
自己導尿をはじめました。
定期的に座薬をさして出す。
出かける前には、これをやっていかないと
不安で仕方がなかったです。

そういう事も、1年後位には出来なくなりました。
私の場合、尿閉(尿が出なくなる)失禁(尿がもれる)
という事が不定期に交互にやってきて薬でコントロールが
出来なくなってしまったのです。
口の中の口内炎も酷く、薬も飲めない状態で
もう、自然に任せるしかない状態になってしまいました。

筋肉が突っ張る状態が強い時と
それが急になくなってしまって筋力が落ちてしまう状態も
不定期にやってきて、どうすることも出来ない状態。
ある日、突然やってくる発作。
目が見えない、息が出来ない、筋肉が硬直して
激しい痛みで動けなくなる。
ちょっと動くと低血圧で倒れそうになる。

それも何の予防も治療もないまま
ただ経過を見守るという事を続けて15年が経ったのです





明日を見つめて・・・

今までに何度か入院しましたがモルモットです。
臨床結果がない為、薬の副作用なのか分からない。

先生にも、体に負担がかかるから
止めた方がいいと言われましたが
私はあえて先生にお願いしたんです。

ぜひ、試して欲しいと・・・
もしそれが効けば私にとっても良い事だし
効かなくても誰かの役に立つ事は間違いない訳だから。

やっぱりどれも、私にはいい結果は出ず
体が弱るだけで途中で、治療打ち切りという事もありました。

確実に進行していく、この体ですが
医学は、日々進歩していて必ず特効薬が出ると信じてます。

母は、自分を責めていました。
亡くなるまでずっと私の事ばかり気にして、自分を責めて。
誰のせいでもないのに・・・ただ運命のいたずら。
これも宿命、神様が与えてくれた試練だと・・・
貴女なら乗り越えて行けるだろうと与えてくれた試練。
産まれ持った病・・・あえて病名は、書かないでおきます。

だからこそ、今日一日を大事に生きたい。
今日が終わったら明日がまた来る。
それを信じて、ゆっくりゆっくり前に進みたい。
そう思うんです。

こうやって病名が分かってから気が楽になって
いつも悩み事が無さそうだねと言われるほどです。
入院してても、患者さんって思えない。
貴女の明るさに救われると先生にも言われ・・・
看護婦さんや先生方のたまり場です、私のベットは。

何故だか、病気をくよくよ考えた事がなくて。
不安はあります、確かに・・・
周りに迷惑かけたりしないかなって・・・
余計な心配かけたくないなって・・・

でも先の事は、誰にも分からないし
今、健康な人でも明日は分からない・・・
誰でも同じ不安があると言えば、あるのだから。

とにかく今日を後悔しない様に・・・
私が居なくなった後に、名誉とか地位とかじゃなく
人を残してやりたい、子供達に・・・

あなた達のお母さんはこういう人だったんだよと
みなさんが子供達に声をかけてくれる様な
たくさんの人を残したい。

そんな風に生きて行きたいと思ってます











































































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